ブログ (2018年1月~12月 )
『降誕祭に向けて』
司祭 加 藤 鐵 男
街のクリスマス商戦を盛り上げようとする軽快な音楽が耳に入ってくると、つい、
真っ白な雪に覆われた丘からシャンシャンと鈴の音を響かせトナカイに曳かせたそり
に乗って、楽しそうに手綱をあやつって駆け下りてくるサンタクロースの姿が目に浮
かんで来ます。
それに比べると教会の降誕祭(クリスマス)の雰囲気は違います。厳かな中に静か
に響くオルガンに導かれて、主イエスを象徴する赤ん坊の人形をおしいだいて司祭が入堂すると暗い聖堂で小さなローソクを、手に持った信徒達の歌う聖歌で降誕祭のミサが始まるのです。
毎年降誕祭を迎える度に思い出す出来事があります。それは、ある教会で年間の主日に、佐久間彪神父が作った『或るクリスマスの出来事』という詩を取り入れて説教したことがありました。ミサに参列していた私と同年配の彼が、その詩を聞いて滂沱(ぼうだ)の涙を流していたのです。隣に坐っていた未信徒の奥さんも怪訝そうな表情を浮かべていました。
その詩は、次のようなものでした。クリスマス・イブに、教会に背を向けていた老いた農夫が、暖炉で身を温めながら揺り椅子で、「神が人間になったことなど信じるものか」とまどろみかけていた時、突然、窓ガラスに何かぶつかる音をききます。それは、次に次に雪が降る暗闇にこの家の灯めがけて、おし寄せる小鳥たちの群れだったのです。農夫はそれと気づき、納屋に電灯を明か明かとつけて扉を大きく開け放ち干し草を蓄えた方に導こうと必死に呼びかけますが、小鳥たちは母屋の窓ガラスにぶつかってむなしく死んで行きました。「ああ、私が小鳥になって、彼等の言葉で話しかけることが出来たなら!」。農夫は気づきました。「神が人となられた」ということの意味を。
涙を流した私と同年配の彼は、信仰の篤い地に生まれ両親の為のミサをお願いしに年に数回教会にきていましたが、幼い時に両親から培った信仰を守り切れていない自分を思った時に、この詩がまるで自分のことのように心の琴線に響いたのだと思います。
私たちも、日頃の様々な誘いに負けていたことを反省し悔い改め、純粋な心を忘れずに、主の降誕を祝う準備をしっかりと行いたいものです。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/12月号より
『死者の日によせて』
司祭 加 藤 鐵 男
十月半ばに地震と台風で延び延びになっていたヨハネ池島神父の納骨式が、白石本通り墓地で行われた。司式の教区事務局長が、その中で神父の思い出話をされていた。神学生時代に会ったときも、神父になって会ってからも、いつも神父様は、「そっすか、そっすか」と、こちらの話に相槌を打っておられた、とてもユニークな神父様でしたと語っておられた。
これは、カトリック教会が教える復活の一つの証しであろう。帰天された方と関わりをもっていた、遺族、親戚、友人・知人の方々の心に帰天された方が何時までも住んでおられて、その方の仕草や共有した逸話などに、ふとその人が甦ってくる、そういうことをわたしたちは何度も経験しているはずである。
さて、九月、十月と季節の変わり目のせいでしょうか山鼻教会では帰天される方々が続いて、通夜・葬儀が、断続的に行われることになってしまった。将来を嘱望されていた若者や長寿を全うした百歳過ぎの方まで、それぞれに人生を生き切った方々の葬儀の司式をさせていただいた。
通夜や葬儀の説教をさせて頂くために、それぞれの履歴やエピソードを遺族の方々に聞かせて頂いている。その度に、お一人お一人が違う人生を歩んで、その生き方を御家族に想い出として残されていることを感じます。その履歴やエピソードを聞く度に、帰天された方々が、ご自分の心の奥から甦ってきて、涙とともに懐かしさと感謝の念を思い起こさせて下さることを感じるのではないでしょうか。
今年も「死者の日」を迎えます。祭壇の周りには、ローソクの炎に照らされた死者の方々の小さな写真が飾られます。それぞれの遺族の方々の中で復活された帰天者の姿を思い浮かべることでしょう。手を合わせ心を込めて祈りましょう。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/11日月号より
『英才教育』
司祭 加 藤 鐵 男
先日、従姉妹の通夜で登別まで車で出かけました。予想以上に早く到着しそうなの
で、のんびりと各パーキングエリアで時間調整をしながら行くことにしました。
最初の輪厚パーキングエリアでトイレに入った時の出来事でした。用を足す私のも
とに三歳位の小さな男の子が来て「おじさん、どうやって水をながすの」と問うので
す。一瞬何のことかと思いましたが、その対面が大トイレになっていて扉が開かれた
ままになっていました。その方に私を導くのです。なるほどと理解してついていくと、
便器の中の水たまりにトイレットペーパーが浮かんでいるのが見えました。壁に押し
ボタンがあって、漢字で「流す」と書いてあります。「僕、ここを押して御覧」と教
えると勢いよく水が流れ出ました。「ほら、流れた」というとにっこり微笑んでいま
した。周りを見回しても親らしい姿が見当たりません。きっと普段から自宅では、一
人でトイレに行き何も表示していなくとも水を流す方法を取得していたのでしょう。
親はそのつもりになって一人でトイレによこしたか、その間、買い物でもしていたの
かもしれません。でも、親にも、その子にも感心しました。何事も一人で出来るよう
にと親は教え、その子は、それが当たり前のように行い、出来ない時には、近くの人
に「聞きなさい」と教わり、それを、そのままできるその子は素晴らしいと思いまし
た。昨今の色々な不測のことが起こりうる状況にもかかわらず、そのリスクを犯して
までも、そのように教育する親の素晴らしさに、ただただ感心した出来事でした。
私たちの教会はどうでしょうか?教える方も教えられる方も、そのような意識をも
って行動しているでしょうか。後々のことを考え、今、やることはこのような意味を
持つのだとか、将来の教会の姿を想像したときに、これが絶対必要なのだとか、その
ような意識を持たずに現在を過ごしているように思えるのです。十年後の教会はどう
なっているのか、どうあるべきなのか、それを考えず行動しているとすれば、私たち
の未来は決して明るいとは、言えなくなります。自分の家族に、信仰の継承をせずに
は、明るい未来を論ずることはできません。
教区においても、せめて家庭での食事の時に全員が揃わなくとも、その時のテーブ
ルを囲む人たちが、食前の祈りをして食事を開始し、食後には、感謝の食後の祈りを
しましょうと提唱することになっています。これは、とても大事なことです。幼稚園
でのカトリック幼児教育において、重要な取り組みとして、実践していることの一つ
です。ですから、自分の家でも夕食の時に、何も祈らず食べようとすると、幼稚園児
が、「お祈りをしてから」と両親に促す子どもが多いそうです。教会の信徒としての
大事なことを、日々の生活で実践できる私たちでありたいと願っています。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/10日月号より
『十勝開拓の祖』
司祭 加 藤 鐵 男
夏休みで一年ぶりに帰郷しました。六人の兄弟姉妹は、一人も欠けることなく健在
である。それぞれに、歳を重ね歩行に困難を感じる者もいるが、皆、口だけは達者で
何よりである。両親の墓参りも済ませ、兄弟姉妹の家を訪ねて、あっという間に夏休
みも終わりに近づいた。最後の一日はのんびりと過ごそうと、最近ネットなどで有名
になった我が町の晩成温泉に行くことにした。小雨まじりのあいにくの日だったが、
以前よりも浴槽が倍程も広くなり、ゆったりと温泉に浸かっていると心も体も癒やさ
れる心地がした。ここの温泉は、浴室からサンダルが用意されていてベランダに出る
ことができるように成っている。裸で木のベンチに腰掛けると太平洋が一望できる。
打ち寄せる波の音を聞きながらほてった体を冷やし、その繰り返しはサウナ効果のよ
うでもある。
この温泉名や地名にもなった「晩成」は、この地に入植した開拓団「晩成社」に由
来する。明治十六年依田勉三率いる晩成社社員の十三戸、二十七人が現在の帯広に西
伊豆から入植し、明治十九年に現在の大樹町晩成地区に入地した。
町の資料によれば、「開墾作業は大変困難を極めたが、牛、馬、豚の飼育、養蚕、
ハム製造、馬鈴薯、ビート、しいたけ、米の栽培、木炭、練乳、バター、コンデンス
ミルク、缶詰の製造」を試みた。また、木工場を建設し、枕木、樽材等の生産をおこ
なったが、いずれも成功しなかった。
しかし、不屈の精神で新しい事業に立ち向かい「一九二〇年には幕別町途別におい
て米作に成功している」と、あります。
依田勉三は、十勝開拓に入り約三十年、その思いは途切れることなく七十三歳の生
涯を全うしました。その間、犠牲者もありました。この晩成社跡地に今も残る依田勉
三が建てた佐藤米吉の墓は、木の伐採で下敷きになり、医者を呼ぶ事も適わず、ただ
見守るだけだったと書かれた墓碑です。
この「晩成社」の話から、わたしたち信者の宣教への在り方に対しての示唆をいた
だけるように思いました。わたしたちは、すぐに結果を求めようとする傾向がありま
す。どうして振り向いてくれないのだろうか、どうしてこんなに善いことを伝えてい
るのに信じてくれないのだろうか。そこには、自分本位の思いが介在して、伝えるべ
き相手の心を塞ぐ作用をしているのではと考えられます。そうではなくて、相手の立
場になって、そのことを考えた時に、もっと時間が必要だとか静かにその思いにふけ
りたいだろうとか、疑問もあるのではないだろうとかが理解できるように思うのです。
わたしたちの宣教は、一朝一夕にできるようなものではなく、ゆったりとした時間
の流れの中にあることを、今一度心に刻みながら、救われることの有り難さ、喜び、
神の愛の大きさを他の人にも味合ってもらいたいものです。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/9月号より
『祝福された洗礼』
司祭 加 藤 鐵 男
ここ数ヶ月の間に二つの教会の間で三人の洗礼式がありました。それぞれに神に祝
福された洗礼式でした。一人は、毎朝七時から行っているミサの中での洗礼式でした。
その人が、持っていた大型のメダイの聖人ベネディクトにちなんで、聖人の記念日に
行われました。その喜びの挨拶の中で「時間がかかりましたが、やっとたどり着いた
感じです」と言われておりました。
また、別の一人は、札幌から一時間半ほど離れた町の施設で暮らす方でした。歩行
が不自由で車椅子なしでは、移動が困難な方でした。お姉さんと同じ信仰を持ちたい
との望みでお姉さん夫婦と知人とが出席して、練願を皆で唱え厳かに車いすに座って
の洗礼式でした。穏やかなその方の顔から、晴れ晴れと清々しい心持ちが感じられま
した。
もう一人は、病室での洗礼式でした。病気を通して、妻と親戚とが信仰するキリス
ト教に自分も入りたいとの思いから決心をしての受洗でした。奥さんは、前から夫も
自分と同じ信仰をもってくれたら有り難いと常々祈っておられました。その念願がか
なっての嬉しい洗礼式には、娘、孫、親戚が列席しての式になりました。酸素マスク
をしていて長い時間は無理なので水をかけて、油をぬる簡単なものでしたが、それま
での長い道のりを考えると列席者の心がこもったとても良い洗礼式でした。
これらの三人の洗礼式を行って、妻の洗礼の時を思い出していました。集中治療室
で管をたくさんつけた妻に神父を呼んで洗礼式をしていただきました。十二歳で教会
学校に通い、四十一歳で洗礼を受ける長い道のりでした。キリスト教についての勉強
をすることもなく、快く引き受けて下さった神父から洗礼を受けて、その後家族全員
が洗礼に導かれる先鞭を病気の妻がつけてくれました。このことを思うと神は、すべ
ての人を呼んで下さって、勉強時間が短くとも、教会に通う期間が短くとも、洗礼に
導かれる長い道のりを考えた時には、「そのままで、いいんだよ」と言って下さって
いるように思えるのです。
私たちは、ついつい自分たちの物差しで測ることばかりをしがちですが、神の物差
しは、私たちのものよりも特別製なのだということを、忘れない信仰生活にしたいも
のです。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/8月号より
『草刈○○』
司祭 加 藤 鐵 男
「芸は身を助ける」という諺がありますが、芸ではないのですが、私が神学校に入
って身につけた一つに草刈りがあります。一年目の栃木県那須町にあった神学校で、
社会福祉法人の施設の人たちと作業をするうちに習得した「草刈り払い機」による草
刈りの技術は、私の性格に合っていたのでしょう、仲間の誰よりも上手にできるよう
になっていきました。神学校の二年目東京に来てからも広い敷地内をほとんど私一人
で草刈りを行っていました。ある先輩が揶揄と親しみをこめて、そんな私に「草刈正
雄」ならぬ「草刈○○」と命名してくれました。その草刈りを五年振りにやる機会が
巡ってきました。私の仕事の量が今までよりも少し減ったからです。教会の係の人に
何も教えを請うことなく勝手にやってしまったので、燃料を間違い機械の調子が悪い
のではと早合点したこともありました。が、それと気づき正規の燃料を入れて動かす
と心地よい音と共に伸びていた草が刈り取られて、綺麗になった後の地面の何と美し
いことか。何と気持ちの良いことか。
司祭には、霊的生活と、みことば、秘跡、愛の奉仕という三種類の役務の実行が求
められています(現代の司祭養成二六項)。教会敷地内の草刈りが、愛の奉仕の一つ
にはならないかもしれませんが、少なくとも訪れる人、ミサに預かる信徒たちが、心地
よい思いで来ることができるのではないでしょうか。
最近、教会の聖堂訪問に来られる方が、目立つようになりました。女性ばかりでは
なく、男性の姿も目につきます。近くの老人施設に入居し、信徒であることを忘れて
居た人、教会に興味が湧いた方、その動機はいろいろでしょうが、訪れる人々が、心
地よく来てよかったと思って帰るそんな教会であって欲しいと願っています。勿論外
周りだけの問題ではありませんが、まずは花畑に花が咲いていて美しい、緑の庭が美
しい、大木の新緑が美しいと感じてくれることが第一だと思います。そのために、私
の「草刈○○」の異名と奉仕が役に立つならこんな嬉しいことはありません。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/7月号より
『私のゴールデンウィーク』
司祭 加 藤 鐵 男
近くにあっても、中々行けない場所があるものです。時間の余裕が出来て、なおか
つ、思いっきりが必要で、やっと行くことができるそんな場所の事です。
数年前からいつかは行きたいと思っていた場所に、今年やっと行くことができまし
た。ゴールデンウィークの休みが続く、この時に、しかも混雑を避けてそこへ行くの
は、どのように、どの時間帯が良いかなどと考えて、インターネットで検索し、目的
を果たせるのかの確認をして、いざ出発となるわけです。
その場所とは、石狩市の厚田区で、桜と港での朝市場が有名な所です。
いつ頃だったかは忘れましたが、新聞記事で取り立てのタコが、身がプリンプリン
で歯ごたえがとてもよく、その美味しいことは、絶品だと紹介されていて、そのうち
にと思いながらも、少なくとも半日を要する事なので、その機会が中々おとずれませ
んでした。それが実現したのです。連休の狭間の一日を選びました。当日は、多少曇
り空ではありましたが、気温も平年並みで、楽しいドライブが予想されました。札幌
からは小一時間の道のりです。ナビに入力し、気ままな拘束なしの時間です。桜は、
まだ早いとの情報だったので、今日は朝市場が楽しめるドライブとなりそうでした。
札幌を出発して、暫く経ち何度も左に折れて厚田の街に入ります。四月にオープン
した道の駅を目当てに、そこに続く道路の左側帯は入りきれずに待っている車が長蛇
の列をなしていました。その列を横切り、いよいよ厚田の港が近づいてきました。岸
壁の駐車場に車を止め、朝市場の店先の前に立ちました。十軒ほどの店先には浜のお
ばさんたちが日焼けした顔で出むかえてくれました。取り立てのタコ足、旬のにしん、
かれい、身欠きにしんなどが店頭にならびます。その価格の安いこと、テレビ番組で
放映されていたとおり安い上に「おまけ」までくれました。にしん一皿五百円となっ
ており、見ると六匹は入っています。「これください」とお願いすると「おまけ」と
もう一匹入れてくれました。もちろんタコ足も買いました。帰途について、コックさ
んにお願いして夕食の一品に加えてもらいました。なんとその身は、まさにプリンプ
リンで今まで、タコ好きの私でも初めて味わう食感でした。人混みを避けてのプチ旅
行は、大満足のものとなりました。
「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。市場で売っている
ものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。『地とそこに満ち
ているものは、主のものだからです』~あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何を
するにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい(第一コリント十章二十四~三
十三節)」。
いつも、私たちに食物を与え、また、自分を与えて、体も心も養って下さる主イエ
ス・キリストと御父からの大きな愛と憐れみに、感謝の心を片時も忘れることなく、
天を仰ぎ見る私たちでありたいとあらためて、感じた一日でした。後日、ゴールデン
ウィークの仕上げに藻岩山の登山を行いました。無事に何とか登ることができて、こ
の一年頑張れそうな気持になれました。
いつもいただくたくさんの神の恵みに手を合わせ、感謝と喜びのうちに私のゴール
デンウィークは終わりました。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/6月号より
『新しいひと』
司祭 加 藤 鐵 男
先日、娘のことで半日産婦人科の病院にいることになってしまった。ラウンジで本
を読み時間を費やして待っていると、そこに、入れ替わり立ち替わり、人がやって来
た。身重の間もなく新米のお母さんになる女性や、お父さんになる人たちが、いつ頃
生まれそうだとか、これからのことを話しているのが耳に入ってきた。そのうち、誰
もいなくなり暫く一人になっていたが、四十近い男性がやってきて方々にはずんだ声
で連絡している。聞くともなく耳に入ってきたのは、「今、生まれました。女の子で
す。体重はまだわかりません」と嬉しそうに相手と話している。看護師さんがやって
来て「○○さん、体重は三千二十グラムでした。おめでとうございます。」と告げて
言った。
その時、私と目が合い「おめでとうございます。初めてのお子さんですか?」とお
祝いを言うとお父さんはニコニコ顔で、「そうです、帝王切開で生まれました。実は
私も帝王切開で生まれたんです。ですから、最初からそうなっても受け入れようと二
人で決めていたんです」とこちらが聞いていない事までも詳しく教えてくれました。
よほど嬉しかったのでしょう。
このお父さんの仕草に、冒頭の娘が生まれた時のことを思い出しました。予定日が
過ぎて、陣痛が来ないので帝王切開にしましょうと決まり、連絡を受けて仕事を早め
に切り上げ、病院へ向かうとすでに分娩室に入っていました。午後七時ごろに生まれ、
午後八時頃には家内が病室に戻ってきました。赤ちゃんを乳児室でガラス越しに見せ
てもらい、家内に「ご苦労さん」とねぎらいの言葉を掛けました。後日談ですが、同
室の女性から「ご主人大変嬉しそうだった」と聞かされたそうです。家内もほっとし
たのと疲れたのでしょう。眠そうにしているので、ゆっくり休みなさいと必要なもの
がないかを尋ねて病院を出ることにしました。
時計を見ると午後九時でした。外にでると音もなく粉雪がゆったりと時を感じさせ
ないかのごとく舞い降りていました。さほど降り始めて時が経っていなかったのでし
ょう。地面が、うっすらと雪化粧していました。街灯のやわらかな灯りに照らされた、
その地面を見た私は、未信者でしたが神さまがいるとすれば、子どもが生まれてくる
ときは、このように真っ白で純粋な、綺麗な心で生まれてくるのだということを教え
てくれたように思いました。
復活節の最中の今、自分の洗礼の時を思い出し、「それまでの古い自分に死んで、
新しく生まれ変わった」、つまりは復活した自分を思い起こし、体も心も綺麗にして
くださった神の大きな愛、恵み、あわれみに感謝したいと思います。同時に、これか
らもあなたを信頼し、従って行きますという決意を、一人ひとりが確かなものとして
歩んで行くことができますよう願ってまいりましょう。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/5月号より
『幼いときの遠い記憶』
司祭 加 藤 鐵 男
先日、子ども会の四旬節のお泊り会が開催されました。十人の子どもたちが参加し
てくれました。三々五々集まって、昼食をご馳走になり、雪像作り、夕食作り、〇✕
ゲーム、四旬節の話、ゆるしの秘跡を受けて、第一日目は終わり、二階の和室でのお
泊りです。パジャマに着替え、歯磨きを終えて、いよいよ布団に入りました。
しかし、母と離れて眠ることは寂しいことです。小学生前の幼い姉妹は、一時間ほ
どでスタッフに送られて自宅に戻って、ぐっすりと寝たのでした。
この話を翌朝聞いて、私の幼い頃の出来事を思い出しました。私の母とその弟は、
子どもに恵まれない祖父母にそれぞれ別の家庭からの養子として育てられました。血
のつながりは無くとも、仲の良い姉弟でした。私からみれば、伯父に当たる弟は、町
から一里程離れたところで農業をしていました。冬は、町場の二世帯住宅の隣で過ご
し、夏は畑地の住宅での生活をしていました。私が、小学三年の頃だったと思います
が、甘えっ子の私を、もう良いだろうと初めての外泊を経験させようと伯父の畑地の
家に連れて行くことになりました。伯父夫婦と子供三人の五人家族と私が、囲いの無
い板場の馬車に揺られて、一時間程かけて農家の住宅に着きました。掘っ立て小屋式
の藁葺きの住宅でした。戸を開けると土間で、後は一間だけの家でした。ついて直ぐ
は熟して落ちた「すもも」を従兄弟達と食べたり、珍しい光景にはしゃいで遊んでい
ました。
辺りが暗くなると少しずつ淋しさが募ってきて、初めて入る「五右衛門風呂」から
上がって暫くすると台風の通過ではなかったかと思うのですが、風雨が激しくなり窓
からは灯り一つなく、ただ暗やみにゴオーゴオーと凄まじい音に淋しさは我慢出来な
くなり、ついに泣き出してしまいました。泣き止まない私に、伯父は根負けして、明
日家につれて行くからと約束して何とか私をなだめたのでした。
「可愛い子には旅をさせろ」という格言があります。私たちの人生には予測できな
い様々な事が起こります。見えない進路を、ただ黙々と歩いて行く私たちには、不安
を抱えての旅路になります。そんな私たちにパウロは言われます。「神は、真実な方
です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、
それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(一コリント10:13)
と。
ですから、私たちは、どんな事にも安心して生きて行くことができるのです。イン
ヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれるイエス・キリストと御父である神は、
いつも私たちを守り、導き、溢れかえるほどの恵みをもたらして、愛してくださいま
す。そんな神に感謝して、共に復活祭を喜び祝い合いましょう。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/4月号より
『ひとりごと』
司祭 加 藤 鐵 男
幼稚園の園長時代、今頃は卒園を迎える年長児たちを送り出す準備で、大変忙しか
ったことを思い出します。年少で入園し泣いていた子、自分では何もできず帰りのお
仕度をいつも担任の先生に手伝ってもらっていた子等、その子らが卒園を控えて一年
生の準備をしていることを思うとき、嬉しいと同時にチョッピリ寂しさを感じている
自分がいました。
全園児の成長を願いカトリック精神に基づいた幼児教育をしながら奮闘していたと
き、毎月出す「園長たより」の巻頭言に苦労していたことも思い出します。その中に
「園児語録」というのを先生方に頼んで置いて、園児たちの発した何気ない小話を収
録して掲載していました。
例えば、節分に赤鬼・青鬼さんが、登場してひとしきり子ども達から豆をぶつけら
れて降参しての帰りがけの一コマです。実は、バスの運転手さんが鬼役を引き受けて
くれていました。帰りのバスのことを出口で打ち合わせをしたことをある年長さんの
女の子が見ていました。その子が私に「鬼さんたちと何語でお話をしていたの?」と
質問を投げかけてきました。私はひるむことなく「園長先生も鬼語は分からないので、
神さまに通訳してもらいました」と答え、胸を撫で下ろしました。
満三歳で入園してきた男の子の会話です。教会の裏手に大きな栗の木が一本ありま
す。実はいつも小さいのですが、たくさんの数のイガグリを地面に落としてくれてい
ました。それを最初に見たときの先ほどの男の子が「ウニがいっぱい落ちている」と
嬉しそうに叫びました。なるほど形はそっくりですよね。その子の観察眼には脱帽で
した。
また、仲の良い女の子同士の会話です。「○○○ちゃん、今日一緒に遊ぼう」。相
手の子は「あしたの次の日だったらいいよ」と上手に断りの返事をしていました。み
んな忙しいのですね。
ある三歳児の一言です。冬の帰りのお仕度でツナギの服に足と手を通し終えたので、
先生にお願いしました。「先生、蛇口閉めて」。先生、一瞬考えて理解しました。
「チャックと蛇口似ているか?」。
これらの話をあらためて思い出しながら、子どもの発想はいつも素晴らしいことに
驚嘆します。だからこそ、イエスも「子どものようにならなければ、天の国に入れな
い」と純粋な眼で物事を見るようにと勧めているのです。
四旬節に入り、主は私たちに「回心して福音を信じなさい」と呼びかけておられま
す。復活祭を迎える準備としてのこの季節を、「施し」、「祈り」、「断食」を通し
て、私たちが、ふさわしい者となれますように、日々、自分の十字架を背負いながら、
共に歩んで下さる主に感謝をわすれずに、復活祭に向かって一歩一歩進んでまいりま
しょう。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/3月号より
『未信徒から与えられた宣教のヒント』
司祭 加 藤 鐵 男
先日、七・八年振りに、有志による交流会が山鼻教会で開かれました。女性二人を
含む十五人が参加して、打ち解けた雰囲気でアルコールも入ったせいでしょうか、賑
やかに楽しい会になりました。以前は、近くの会社の寮のホールを借り受けて四十数
名も集まって盛大だったこともあるとの話も伺いました。自己紹介では、教会に繋が
った顛末や洗礼を受けるきっかけ、若い頃の教会のことなど、それぞれの人生の一端
の話に花が咲き、交わりを深める絶好の機会となりました。宴もたけなわビンゴゲー
ムでは、まるで子供のようにはしゃぎビンゴが出るたびに歓声と拍手がわきました。
当日の午前中に、ある信徒の追悼ミサがありました。参列された未信徒の方が「有
志による交礼会」のポスターを見て質問を投げかけて来ました。その中に「酒の持ち
込み大歓迎」の項を見つけて、「教会の人達もお酒を飲むんですか」と驚いておりま
した。私は、「イエスは大食漢で大酒飲みだ」(マタイ十一の十九)と聖書には書か
れていて、イエス・キリストが大いに呑み食べ、人々との交わりを大事にしていたこ
とを告げて、大きな行事の時など共同体の大勢が集まってお酒を飲むことがあること
を教えました。
このことは、メディアを通して流される情報が、人々にインプットされている証拠
にもなり、敬虔なシスターたちの祈る姿などが、カトリックの教会の全てとのイメー
ジを作り出しているように思います。裏を返せばここに、私たちの宣教のヒントがあ
るかもしれません。イエスは、よく一人で祈っておられました。とても大切なことで
すし、祈りを忘れた信者は、もはや信者とは言えないことは確かです。しかし、それ
が全てではなく、信者だとしても生きて行くためには、食べなければ命の維持は困難
です。また、心の充足も大事なことです。互いに自分をさらけ出して、とことん話し
合うことも必要なことです。心と心の触れ合いを求めあっても、まして、同じ共同体
の人間であれば、共通項がすぐに見つかる筈なので、打ち解けるには時間は掛からな
いことは明白です。
これらのことを通して、私たち信者は、普段の生活は一般社会の方々と何ら変わら
ないこと、札幌市の市民であり、北海道民であり、国民の一人であることを告げなけ
ればならないと思いました。キリスト信者は、特別な存在ではないこと神を信じる普
通の人であることを。
同時に、キリストの弟子となって、キリストに倣い、一歩でもキリストに近づこう
と努めていることを、また、憐れみと愛とに満ちた神からたくさんの恵みをいただき、
自分がそれまでの自分とは大いに変えられ、日々、心の充足の中で、喜びに溢れて生
きていることも伝えていかなければなりません。一人でも多くの人に。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/2月号より
『新年によせて』
司祭 加 藤 鐵 男
新年おめでとうございます。社会では一月からが新年になりますが、典礼暦の上で
は、既に新しい年を迎えています。
私たちは、札幌市民であり、北海道民であり、日本国民でもあります。税金を納め、
この地域にあって、公的サービスを受けています。
私たちは、カトリック信者として日々生きています。すでに、この世に実現してい
ると言われる神の国に入ることを目指して私たちは生きています。この国の長である
神から、私たちは、お金では払いきれない程のたくさんのお恵みをいただいています。
これでもかこれでもかと神は惜しみなく、すべての人にその恵みを施そうとなさいま
す。神の国のサービスは、この世のものとは比べようもありません。身体的だけでは
なく、心の充足をも与えてくださいます。しかも短期的ではなく、長期的、つまり、
その人が神を知った後の生涯に亘って、その恵みは持続的に無料で施されます。こん
な有り難いことは、社会的にはあり得ません。キリストの弟子となったことで、その
恵みをいただくことができるのです。神は、私たち弱い人間の罪をも無限に許し、し
かも許すだけではなく、その後も同伴者として、共に寄り添い一緒に人生を歩いて下
さり、しんどい時には抱き上げて慰め励ましてくださるお方です。このような心配り
をしてくださることに、私たちは何を持って報いれば良いのでしょうか。
神の国に税金はありません。神が心配りをもって私たちを愛し慰め励ましてくださ
るのであれば、私たち人間も心をもって神を愛し報いる他はありません。口先だけの
祈りではなくて、心を込めて感謝の祈りを捧げることが大事です。
イエス・キリストは律法学者の「もっとも重要な掟は何か」との問いに答えて言い
ました。「わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、
思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」、また、「隣人を
自分のように愛しなさい」(マルコ12章29、31節)と。
新年を迎えて、心も新たにし、これからの私たちの信仰を育むために、出来ること
は何かと考えると、それはやはり神が私たちすべての人間を愛し救おうとしていて下
さることに感謝し、これに応えていくことだけです。
私たちが日々の生活の忙しさに埋もれてしまい、いつしか大事なことを忘れてしま
っていることを反省しなければなりません。
今年こそは、毎日僅かの時間でも神に向けて祈り、愛し、感謝の心を、神の祭壇に
お献げできるよう努めていく一年でありますよう願ってまいりたいものです。
山鼻教会機関誌「おとずれ」❜18/1月号より