ブログ (2022年1月~2022年12月 )


「復活徹夜祭に向けて」

       主任司祭 佐藤謙一

 

 復活徹夜祭を含む「聖なる過越の3日間」は、主の受難と死と復活を一連のものとして祝う典礼である。これは主日に行っていることを、3日間に渡ってイエスの「聖体の制定」、「受難」、「死」、「復活」を時間経過に従って再現し記念するものである。それによって、イエスの死の意味は何だったのかということを毎年振り返ることができるのである。

 中世の教会は、主の受難と死が地上における宣教の終わりであり、復活は地上とは異なった天上におけるイエスの新しいいのちの始まりであると考えて二分して典礼を行っていた。しかし、1955年聖ピオ12世教皇が、今まで午後にミサが禁じられていたのを刷新し、まず復活徹夜祭という夜のミサを復活させた。第2バチカン公会議後の1970年に古代教会の伝統を復興し、イエスの受難と死が復活とは切り離すことができない連続した出来事として、聖なる過越しの3日間が制定されたのである。

 復活徹夜祭は、闇から光へ、主の死から主の日への移行を記念する年間の典礼の頂点である。復活徹夜祭は夜(聖土曜日の日没後から主日の明け方の前まで)に行われることになっている。これは、神がイスラエルの民をエジプトから脱出させるために徹夜されたという出エジプト記12章42節の記述に基づき、神の働きによって、イエスが死から復活の命へ過越された神秘を祝うための祭儀である。この復活徹夜祭を通してキリスト信者は主の復活を祝いながら、同時に新しい過越が自分たちの上に実現する「終わりの日」(=主の再臨の日)を、目覚めて待つように促される。

 『病人は一度よくなってもいつかはまた病気になって、最後には必ず死にます。しかし、イエス様に対する信仰によって与えられる霊的な生命は永遠に生きるのです。』これは聖アウグスティヌスの言葉である。イエスとともに生きることの頂点としての復活を復活徹夜祭で味わうことができるのである。

 

カトリック山鼻教会通信<3月号>より  

 



「四旬節が始まる」

       主任司祭 佐藤謙一

 

 「四旬節」は復活の主日によって開始日が変動する。今年は2月14日の灰の水曜日から始まり3月28日の主の晩餐の夕べのミサ直前までの44日間である。復活の主日は「春分の日」の後の最初の「満月」の次の「日曜日」と決まっている。したがって、もっとも早い灰の水曜日は2月5日になることもあり、もっとも遅い場合は3月11日になる。2月に四旬節に入らない年も3年に一回くらいはある。

 四旬節の意義は、第一に復活祭に向けた準備である。第二に洗礼志願者の準備である。第三に信者がすでに受けた洗礼の恵みを新たにする期間である。洗礼志願者がいなくても他の共同体の志願者のために祈りをささげ、また、信者の洗礼の恵みを思い起こし回心に招く期間でもある。

 この期間にはいろいろなしるしがある。まず灰の水曜日では灰の祝福と灰をかける式がある。

司祭は灰を振りかけながら「回心して福音を信じなさい」と回心を勧める。目と耳と口に示されるしるしとしては、控えめに花壇を花で飾ることや、オルガンや他の楽器が歌を支えるためだけに用いられることや、アレルヤと唱えないことや、沈黙を重んじることなどである。このようなしるしによって四旬節が回心の季節であることをわたしたちに思い起こさせるのである。

 四旬節の信心業としては「十字架の道行き」という祈りがある。イエスが十字架につけられた主の受難が金曜日であることから、時に四旬節中の金曜日に共同で祈ることが多い。イエス・キリストの受難を心に呼び起こし、信者の沈黙に役立てるものである。これから始まる四旬節では特に祈りと沈黙を大切にして行こう。

 

カトリック山鼻教会通信<2月号>より  

 



「神学生の1月の思い出」

       主任司祭 佐藤謙一

 

 わたしが神学生だったとき、毎年12月の終わりには冬休みとなり札幌教区に戻って来ていた。

冬休みはとても大切は時である。帰って来てから降誕祭をどこかの教会のミサにあずかり、教会の皆さんと交流を持つのも大切だが、本当に大切なのは次の日である。毎年12月26日に神学生養成担当の司祭団と面接し、その評価をもって司教と面接し、次の年度に進学するか、休学するか、やめるかを決断するからである。

 進学する、あるいは卒業して司祭叙階するのであれば問題はない。また、ある意味やめるのも問題はない。すぐに切り替えて次の道を考えればいいからだ。問題は休学する場合である。休学とは神学校での学びを休んで、教区で学びと養成を行うことを意味する。司教としては神学校に行ってもらって順調に成長してもらうのが、一番心が休まることであろう。しかし教区の中にいてもがき苦しみながら学び養成してもらうことになるのは、本人が一番苦しいであろうし、周りで見ている司祭団や司教も何とかしてあげたいと思うことばかりで、とても苦しいものなのである。

 私は冬休みを迎えて札幌に帰ったときにこの面接が嫌なものであったことを覚えている。

この短い冬休み期間の前半は、本来はクリスマスの喜びに満たされているはずであるが面接のことがあり気持ちが沈むことになっていた。しかし、わたしの場合は毎年進学することができたので年末から1月にかけては晴れやかな気持ちで新年を迎えることができていた。司祭叙階され、わたしは今も召命の道を歩むことができていることに感謝している。

 これまでに司祭に叙階された者も途中で去っていった者もそれぞれの心の葛藤の中で年末年始を過ごしていたのである。今はそういう季節である。わたしたちには計り知れないことかもしれないが、皆さんは祈りと犠牲によって神学生を支えて行くことができるのである。

 

カトリック山鼻教会通信<1月号>より  

 



「久野神父逝く」

       主任司祭 加藤鐵男

 

 二月六日に久野神父は帰天されました。享年九十二歳でした。私が司祭叙階されて同時に事務局長を命ぜられて、事務所の机に座っているのをご覧になって、年齢は重ねているけれども何事も分からない司祭に成りたての私に、「あなたがここに座っていると安心するんだよね」と声を掛けてくださいました。気恥ずかしいのと、また、全ての人にそのような優しさを示してくださる神父様なのだと感心したことを覚えています。

 私は実際には、聞いたこともなければ、見たこともないのですが、エレクトーンの演奏を毎日のように練習し、教会の大きな行事の時には、その腕前を披露していたと言いますし、スキーは一級の指導員の資格を取得して、後進の指導に当たっていたと聞いています。

 また、ここ数年はコロナ感染の状態で中止になっていましたが。北斗市のトラピスト修道院での司祭黙想会には、九十歳近くになっても、八時間掛けて休み休みしながら、車を運転して出席しておられました。

 光星高校で教鞭をとり、幼稚園の園長も長く勤められて、カトリックの精神を子どもたちに伝える事にも熱心でした。また、倶知安教会では、全ての園児、保護者が入れるようにと私財をなげうって、聖堂を拡張するなど、「キリストの福音」を生き切ることに生涯にわたって努めておられました。

 そのような久野神父が病に侵され、高年齢で症状の悪化が進まずに司牧に励んでおられましたが、転移による進行がみられ入院されて、あっという間に天に召されて行きました。

 「私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです」(エフェソ2章10節)。

 ヨセフ久野勉神父は、この聖句のように、「キリストの福音を」生涯にわたって、追求し、それを実践してこられました。 

 いまは、天国にあってゆっくりお休みくださいと祈り続けると共に、私たちのために神への取次を願い、僅かでも神父様の生き様を模範として歩むことが出来ますようにと願ってまいりましょう。

山鼻教会機関誌「おとずれ」❜22日3月号より  

 

 



「支援を必要としているひとびと」

            主任司祭 加藤鐵男

 

 新年を迎えて早くもひと月を過ぎようとしています。お正月には、綺麗に並べられたたくさんの御馳走の食卓を囲んで美味しいものでお腹が満たされたことだと思います。「七草がゆ」は、連日美味しい食べ物で満たされ続けた「胃」を休めるという意味もあると伺ったことがあります。こんな穏やかな新年を迎えた私たちは、幸せに満たされています。しかし、世界に目を向けて見ると大変な状況が長期にわたって続いていることを私たちは、知らされます。

 紛争の続く自国を捨てて安全な国を目指して難民として、たどり着こうとしても、国境や海峡で足止めされてしまいます。武力で他国へ入ることを拒否されて戻され、海峡をゴムボートで渡ろうとして、空気が抜けて三十数人もの犠牲者がでたことは、まだ記憶に新しいところです。

 タリバンによって、国を掌握されたアフガニスタンでは、厳しい冬を迎え、暖を取ることも出来ず、食べる物もない状況が続いています。ミルクもなくこのままでは、百万人のこどもたちが、栄養失調で死亡するだろうと報道されています。さすがに経済制裁をしている国々も、人道的支援を打ち出して援助に乗り出そうとしています。しかし、それを配分するシステムが構築されていなくて、末端まで行き渡ることは困難な状況だと言われています。日本も隣国の大使が政権側と接触し何とか、平和の道を探ろうと試みていますが、まだまだ時間が必要なようです。

 私たちにとって直ちに援助に結びつくことは、出来そうにもない事態ですが、一刻もはやくそれが実現しますようにと日々祈り続けることが大事です。

 

「私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです」(エフェソの信徒への手紙2章10節)。

 この聖書の言葉のように、神によって造られた私たちは、善い行いをする為にこの世に送られてきました。一人ひとりがそのことを自覚し常に思い起こしながら、実践していくことが求められています。この世に生を受けた人々が、その命を全うできますようにと祈り続け、自分たちばかりではなく、すべての人が救われるよう願いましょう。 

山鼻教会機関誌「おとずれ」❜22日2月号より  

 

 



「ある教会の献金箱」

司祭 加藤鐵男

 

 私が主任を務める教会でベトナム人のためのミサを行うようになって一年が過ぎました。彼らもすっかりこの教会に馴染んで、毎日曜日には、必ず少人数であっても祈りの会が開かれています。また、主日のミサに数人は、参列しています。

この教会には、献金箱は設置されていません。ところが、最近五、六件も続いて一階や二階のミサ参列者名簿を書くための鉛筆などの入れてある小箱に、五百円玉や千円札が入っていることが確認されています。信徒がそれを見つけては私のところに届けてくれています。献金として受け入れていますが、不思議です。

 ベトナム人たちが、休みの平日などに聖堂訪問をしたついでに、献金箱が見当たらないので、目についた箱の中に入れていくのではないかと思っています。でも、私に疑念が湧きました。誰もが目に止まる、蓋もないような箱にお金を入れて行って盗まれはしないかと考えないのだろうかということです。だが、そんなことは考えもせず、自分の入れたお金は献金として教会に入ることを疑わないのだろうと思います。

 イエスの衣の裾にでも触れれば自分の病気が癒されると信じた「長血患いの女」や「僕の病気が癒される」ことを願ってイエスの許にきた百人隊長のような、「あなたの信仰があなたを救った」とイエスに言わせた信仰がベトナム人たち一人ひとりには、備わっているのかもしれないと思うのです。疑うことをせず、自分たちの信じていることと真っすぐに向き合い、それを実践しようとしている彼らの中に育まれた信仰はなんとすばらしいのでしょう。かくて、この教会はそこいら中に献金箱だらけです。

 ペトロは言います。

「何よりもまず、互いに心から愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」(一ペトロ四章八節)

 キリスト教が日本に伝えられて間もない頃、日本人向けに訳された教理問答には、この「愛する」という言葉を、「御大切に」と訳されています。自分の愛するかけがえのない人々は、それぞれに大切な人たちなのです。それは、男女、年齢、国籍に関係なく、それぞれが、大切な人たちなのです。主よ、この信仰を多くの人に、まだ、あなたを知らない人たちにも育ませてください。

 

山鼻教会機関誌「おとずれ」❜22日1月号より