ブログ (2022年1月~2022年12月 )



  「希望」   

                          主任司祭 佐藤謙一

 

教皇フランシスコから『希望は欺かない』という大勅書が出され、2025年の通常聖年が宣言されました。札幌教区では7つの教会を巡礼地として指定され、2024年12月29日(日)のミサ後に始まり、2025年12月28日(日)のミサ後に終わります。この期間、希望の巡礼者である信者は、聖なる巡礼を行うことにより、教皇から聖年の免償を受けることができます。一年の始まりに当たって、皆さんが聖年をふさわしい心で過ごすことができるよう願っています。

ところで、わたしたちの希望とは何なのでしょうか。それは、最終的に永遠のいのちにあずかることでしょう。そのために常に意識すべきことは、誰もが訪れる死の瞬間に、神とキリストとの出会いの際の永遠の運命の決断をどうするのかということでしょう。死をもって地上の時間は過ぎ去り、永遠の運命が永遠に変わることなく定められます。永遠の運命の決断とは、神を肯定するか否定するか、キリストを受け入れるか拒むかという決断で、これは信仰における決断となります。それは各自の自由意志による決断に任されているので、生きている間に永遠の運命の決断の準備をしておくことが必要なのです。この準備とは、死においてわたしたちを御自分のいのちへと立ち上がらせてくださる神を信じて、神に感謝し、絶えず神を賛美することです。と同時に、弱い人、貧しい人、苦しんでいる人に対して自らができる助けを与えることでもあります。つまり、神と隣人に対して自分をささげきることが、その準備となるのです。

教皇フランシスコは大勅書の中で希望とは何なのかを次のように説明しています。「希望は、信仰者の生き方の方向と目的を示す、いわば指南役です。わたしたちは自分を救ってくれた希望のおかげで、自分の人生が行き止まりや暗闇に向かっているのではなく、栄光の主にお会いすることに向かって進んでいるという確信を得ています。主の再臨を待ち望みつつ、主において永遠に生きるという希望のうちに、日々を送りましょう。この精神をもって聖書を締めくくることばである最初のキリスト者たちの感動的な祈りをわたしたちのものといたしましょう。『主イエスよ、来てください』(黙示録22・20)。」 

 

              山鼻教会機関誌「おとずれ」❜25年1月号より

 



  「主の降誕の後の3日間」

                         主任司祭 佐藤謙一

 

 わたしたちは12月1日の待降節第一主日から始まる待降節を24日間過ごした後、「主の降誕」を迎える。主の降誕の後の3日間は祝日が続く。26日は「最初の殉教者聖ステファノ」、27日は「聖ヨハネ使徒福音記者」、28日は「聖なる幼子殉教者」である。

 主の降誕の後にこの3つの祝日が続くことには意味深いものがある。まず、主の降誕の直後に最初の殉教者である聖ステファノの天の国への誕生を祝う。およそ2000年の歴史の中で数知れない殉教者がいたが、その初穂であることをお祝いするのである。次に、イエスの受肉とイエスの愛を書き記した聖ヨハネ使徒福音記者をお祝いする。イエスの福音によってわたしたちは神のはかりしれない愛を知ることができるようになったからである。最後に、イエスを知らずに亡くなった幼子たちが、主の降誕の恵みにより栄光を受けてあがなわれたことをお祝いする。イエスを知らない人であっても神は見捨てることがないからである。イエスをあかしすること、イエスを宣べ伝えること、イエスを知らなくても神の愛によって救われることがこの3日間で祝われるのである。

 別の見方もある。それは司祭職と結びつける見方である。聖ステファノは助祭としてイエスをあかしし、聖ヨハネは司祭としてイエスを宣べ伝え、幼子は神学生としてこれからイエスを学ぶ者として見る見方である。司祭職を歩む者のために祈るのはよいことである。わたしたちの間からイエスをあかしし、イエスを宣べ伝え、イエスを学ぶ人が出てくるよう祈り求めよう。

 いずれにせよ、新しい年を待ち望みながら、主の降誕の後の3日間についても、みことばの黙想をすることをお勧めしたい。

 

 

            山鼻教会機関誌「おとずれ」❜24年12月号より  


  「菊地功枢機卿」

                         主任司祭 佐藤謙一

 

 10月6日に教皇フランシスコが、東京教区大司教の菊地功(きくちいさお)大司教を2024年12月8日に枢機卿に叙任すると発表した。現在日本からはただ一人、大阪高松教区大司教の前田万葉(まえだまんよう)枢機卿が2018年に任命されている。これを機に枢機卿の職務について知っておこう。

 枢機卿は教皇の最高顧問となる。つまり、重要な案件について教皇を直接補佐する枢機卿団の一員となり、日常的な業務については個々の能力に応じて教皇を助ける。菊地大司教は国際カリタスの総裁を務めておられ、また日本での20年に及ぶ司教職で培った能力を教皇の補佐としても使ってもらいたいと考えての任命であろう。

 枢機卿の職務でわたしたちが直接目にするものは教皇選挙であろう。コンクラーベと呼ばれる教皇選挙でこれまでもベネディクト16世教皇やフランシスコ教皇の選出のニュースをわたしたちは目にしたことがあろう。教皇選挙については任命した教皇が死去あるいは引退した時に行われるものであるから、自分の都合の良いように任命したとしても、その教皇はもう選ばれることはないので選挙においては影響がない。つまりこれからの教会のために選ばれるのが枢機卿ということがわかるだろう。

 わたしたちにはこれらの職務が直接には関係がないように思えるが、菊地氏大司教はカトリック新聞に次のように答えている。「教皇様による親任(=叙任)は、私個人への栄誉ではなく、日本の教会への教皇様の熱い思いの表れであり、日本のそしてアジアの教会への祝福です。」 最後に次のように締めくくっている。「枢機卿という栄誉は、皆さんのものです。どうかその責務を私が十分に果たすことができるよう、お祈りください。」わたしたちもともに歩む菊地大司教のために祈りをささげよう。

 

            山鼻教会機関誌「おとずれ」❜24年11月号より  


  「ロザリオの月」

                         主任司祭 佐藤謙一

 

 10月がロザリオの月と呼ばれるのは皆さんご存知だと思う。その成り立ちはカトリック関係のホームページ等で知ることができるので、ここでは記さない。

 ロザリオは聖母マリアの祈りを通して、イエスの生涯を黙想する祈りである。バラの花にはトゲがついている。そのトゲを一つひとつ取り、バラの花だけの冠にするという意味がある。アヴェ・マリアの祈りを唱えてイエスのいばらの冠のトゲを一つひとつ取り、ロザリオ1環唱えることによりバラの冠とするのである。

 はじめは「喜びの神秘」と言われるマリアの5つの喜びを黙想するだけだったが、後にイエスの受難から十字架の死に至る「苦しみの神秘」とイエスの復活と昇天、聖霊降臨、聖母の被昇天に至る「栄えの神秘」が加わり、イエスの生涯を黙想するようになった。この3環を唱えるとアヴェ・マリアの祈りを150回祈ることとなる。聖務日祷と呼ばれていた教会の祈りは昔は文字の読める聖職者や修道者が毎日唱えるものであったが、4週で150の詩編を唱えていたことから、ロザリオが信徒の教会の祈りとも言われていた。

 さらにヨハネ・パウロ2世はイエスの公生活での神の啓示を「光の神秘」として加えられた。これにより「喜びの神秘」「光の神秘」「苦しみの神秘」「栄えの神秘」となり、イエスの生涯を豊かに黙想することができるようになった。

 この10月のロザリオの月から、およそ30分ほどの時間を取って、毎日ロザリオ1環を唱えて、イエスの生涯を黙想してみてはいかがでしょうか。死者や隣人のための意向を持ってささげるとなおよいでしょう。                         

 

            山鼻教会機関誌「おとずれ」❜24年10月号より  



 「被造物とともにあって、希望し行動しよう」   

                          主任司祭 佐藤謙一

 

毎年 9 月 1 日から 10 月 4 日までを日本の司教団は「すべてのいのちを守るための月間」と定めて、今年は成井大介責任司教談話が発表されています。その中で以下の問いかけがありました。みなさんはどう考えますか。『生かされている――皆さんは、こんな思いが心の底から湧き上がってくることが最近ありましたか。自分で生まれてきたわけでも、自分だけで生きているわけでもなく、さまざまなつながりの中で今自分が生かされている、ということは考えてみれば当たり前のことですが、それを実感として深く感じることがありますか。・・・イエスの驚きに満ちたまなざしは、わたしたちが総合的なエコロジー、すなわち神と、他者と、自然とそして自分自身と調和して生きる道筋を示しています。今年のすべてのいのちを守るための月間の間、イエスの驚きに満ちたまなざしで自分を取り巻くいのちのつながりに目を向けてみませんか。』1

この期間「すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り」をともに祈ることにいたしましょう。『宇宙万物の造り主である神よ、あなたはお造りになったすべてのものをご自分の優しさで包んでくださいます。わたしたちが傷つけてしまった地球と、この世界で見捨てられ、忘れ去られた人々の叫びに気づくことができるよう、一人ひとりの心を照らしてください。無関心を遠ざけ、貧しい人や弱い人を支え、ともに暮らす家である地球を大切にできるよう、わたしたちの役割を示してください。すべてのいのちを守るため、よりよい未来をひらくために

聖霊の力と光でわたしたちをとらえ、あなたの愛の道具として遣わしてください。すべての被造物とともにあなたを賛美することができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。』(2020 年 5 月 8 日 日本カトリック司教協議会認可)

 

1 https://www.cbcj.catholic.jp/2024/08/14/30471 

 

            山鼻教会機関誌「おとずれ」❜24年9月号より  



 「2025 聖年への準備の祈り」   

                          主任司祭 佐藤謙一

 

教皇フランシスコは、2024 年 2 月 11 日、2025 年の聖年の開催を告知し、聖年を布告する大勅書「Spes non confundit(希望は欺かない)」を発表しました。聖年は 2024 年 12月 24 日にバチカンのサンピエトロ大聖堂の聖なる扉が開かれて開幕し、2026 年 1 月 6 日の主の公現の祭日に同扉が閉じられ聖年は閉幕します。それに先立って教皇フランシスコは、2024 年を 2025 年聖年への準備として『祈りの年』とするよう求めました。聖年への準備に向けて、今年 2024 年は「個人的な祈り、そして共同体としての祈り」を中心に各教区で行うよう教皇フランシスコは願われています。教皇が定められたこの祈りをみなさんもともに唱えて 2025 聖年を迎える準備をいたしましょう。

 +聖年の祈り

               天の父よ、

     あなたは、わたしたちの兄弟、御子イエスにおいて信仰を与え、

   聖霊によってわたしたちの心に愛の炎を燃え上がらせてくださいました。

              この信仰と愛によって、

         神の国の訪れを待ち望む、祝福に満ちた希望が、

          わたしたちのうちに呼び覚まされますように。

           あなたの恵みによって、わたしたちが、

        福音の種をたゆまず育てる者へと変えられますように。

      この種によって、新しい天と新しい地への確かな期待をもって、

        人類とすべてのものが豊かに成長していきますように。

             そのとき、悪の力は打ち払われ、             

            あなたの栄光が永遠に光り輝きます。

                聖年の恵みによって、

           希望の巡礼者であるわたしたちのうちに、

            天の宝へのあこがれが呼び覚まされ、

        あがない主の喜びと平和が全世界に行き渡りますように。

           永遠にほめたたえられる神であるあなたに、

          栄光と賛美が世々とこしえにありますように。

                  アーメン。

 

 

参照:https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/holyyear/jubilee2025

                              



「福者ペトロ岐部司祭と 187 殉教者」

 

       主任司祭 佐藤謙一

 

2009 年から 7 月 1 日に日本の教会は、記念日として「福者ペトロ岐部司祭と 187 殉教者」を祝っている。これらの 188 人の殉教者は 2008 年 11 月 24 日に長崎で列福された。この記念日はわたしにとっては忘れられない記念日である。

 わたしが神学校の入学試験を受けたのは2009 年 9 月 24 日から 26 日までであった。その時の試験問題の一つとして「7 月 1 日の記念日として昨年列福された日本の殉教者の人数は何人か」という質問があった。直近の出来事として教会では多くの方が知っていることではあったであろうが、わたしは神学校に行って司祭となって教会に奉仕しようと思い、そのきっかけとして教会でよく働いていた母の死(2008 年 3 月)と父の死(2009 年 3月)があり、その後神学校に入りたい旨を養成担当司祭に相談し仕事をやめて実家を整理しながら受験の準備をしていたので、実は教会の動きをほとんど把握していなかった。もちろん試験では答えることができなかった。

 試験が終わり、席を立ち振り返ってみると教室の後ろの壁に、『福者ペトロ岐部司祭と187 殉教者 列福!』という 3 メートルほどもある横断幕が張られていた。幸い試験は無事合格できたが、この記念日は一生忘れることはない。これからは周りをよく見るようにしようと思った。

 彼らは 1603 年から 1639 年にかけて殉教した日本人であるが、同時期に殉教した北海道の殉教者は残念ながら含まれていない。北海道には松前藩の千軒岳を中心とした 106 名の殉教者の記録がある。記録はあるが個人の名前は記されていないので列福できないのである。こちらは函館地区の行事として、毎年 7 月の最終日曜日に巡礼登山と記念ミサが行われている。7 月に入り、特に殉教者の信仰の証しを思い起こし、わたしたちもイエス・キリストを証ししていくことができるよう祈ろう 。

               山鼻教会機関誌「おとずれ」❜24年7月号より                 



「回勅、使徒的勧告、使徒的書簡、自発教令とは」

 

       主任司祭 佐藤謙一

 

 最近、教皇文書を読むことが多い。「回勅ラウダート・シ」「使徒的勧告ラウダート・デウム」「使徒的書簡わたしはせつに願っていた」などだが、文書のタイトルの前の言葉が違っていることに気づく。これらの教皇文書の違いについて今一度確認しておこう。

 教皇または教皇から委任をうけた代理者によって直接発せられる聖座の公式見解を教皇文書と言う。「回勅」とは、ローマ教皇が司牧的な意図にもとづいて信者の信仰生活を導き、信者をまちがった考えから守るためにすべてのカトリック教会にあてて送る書簡のことを言う。回勅には教会法上の拘束力があって、回勅を公に否定をしたり、信者に回勅をまちがって伝えたりすることは教会法によって裁かれて最悪「破門」となることがある。

 「使徒的勧告」とは、ローマ教皇が聖職者や修道者や司教などに向けて、彼らが霊的生活のある面で進歩するよう勇気づけるために送る勧告のことを言う。これは特定の信徒にあてて送られることもある。「使徒的書簡」は、教皇の公的な書簡のことを言う。さまざまな機会に教会の要職にある者や特定の団体に宛てたあいさつが多いが、全教会に宛てた司牧的書簡もある。これらはあくまで励ます言葉なので教会法上の拘束力はない。

 ほかには「自発教令」というものがある。これは教皇自身から直接発せられる教令のことで、一般には聖職者や信徒から寄せられた教会規律や教会法上の諸問題に対する回答として教皇が下した決定を伝える教皇書簡を指す。このほかにも毎年定期的に「教皇メッセージ」が送られてくる。教皇がわたしたちに何を伝えたいのかを知っておくことで、今教会が取り組んでいる諸問題や進むべき道が理解できて信仰生活が豊かになるのではないだろうか

 

               山鼻教会機関誌「おとずれ」❜24年6月号より                 



「教皇フランシスコ使徒的書簡『わたしはせつに願っていた』を読んで」

 

       主任司祭 佐藤謙一

 

 この書簡は2022年6月29日に公布されたものです。典礼に関する教皇文書はこれまであまり出ていませんでしたが、教会生活の一つである典礼について信徒の皆さんと分かち合いたいとの思いで出されたものです。本の帯には「典礼における両極端の逸脱に警鐘を鳴らし」とあります。一つの端は典礼を単に形だけのものであるとしてそのしるしを軽視すること、もう一つの端は第2バチカン公会議以前の典礼を神が定めた正統なものであるとし、現在の典礼を人が決めたものとして異端視することです。わたしたちはそのどちらでもなく真理を求めて行かなければなりません。教皇の言葉を引用します。「もしわたしたちが聖霊降臨後のエルサレムにどうにかたどり着き、ナザレのイエスについての情報を望むだけでなく、やはりイエスに会いたいと願ったとしましょう。その場合、わたしたちにできるのは、これまでにないほど生き生きとイエスのことばと動作を見聞きするために、イエスの弟子たちを探し出すことだけです。主の晩餐を祝う共同体以外に、イエスと真に出会うことのできる可能性はありません。だからこそ教会は、『これをわたしの記念として行いなさい』という主の命令を、もっとも価値ある宝としていつも時代も守り続けてきたのです。」イエスと出会うことのできる典礼を行っているのは主の弟子であるわたしたち自身であり、そのための共同体であることをあらためて確認して歩んで行きましょう。

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教皇フランシスコ、使徒的書簡『わたしはせつに願っていた』P12、宮内毅司祭訳、カトリック中央協議会2023年。

 

                  カトリック山鼻教会通信<5月号>より

 



「初心を思い出して」

       主任司祭 佐藤謙一

 

 2月20日から札幌教区神学生のレ・シュアン・ビンさんと一緒に生活を始めて一か月が過ぎた。2月26日に助祭・司祭候補者に認定されて晴れて正式な札幌教区の神学生となったばかりである。2024年度の1年間は神学校を休学し、札幌で日本語を学びなおす1年となる。日常生活の中での意思の疎通は可能だが、司祭となって人々に神のことばを伝えるには概念と言葉がまだ足りないのではないかと神学生養成担当をはじめ司教が判断したからである。この1年をしっかりと過ごすことによって将来の司祭職のために必要な大切なものを得ることができると信じている。皆さんもビンさんのためにお祈りください。

 さて、わたしと一緒に生活をしているので朝の祈りと晩の祈り、そして朝食と夕食は一緒に行うことにしている。これはわたしにとっても新鮮なものとなっている。聖職者は「教会の祈り」を特別に委託されており、信者が出席していないときでも、単独で「教会の祈り」を唱えなければならない。修道者とは違い、教区司祭には「教会の祈り」を共同で唱える義務はない。しかしできるだけ共同で唱えることも勧められている。司教館事務局長だったときには毎朝、朝の祈りとミサを行っていたが、小教区に住むようになり共同で祈ることはなくなっていた。今は神学生だったときのことを思い起こし、ビン神学生と一緒に「教会の祈り」を唱えている。「教会の祈り」は生活を規則正しく、ミサで与った聖体の秘跡を生活のさまざまな時間に行き渡らせるために必要なものであると教皇パウロ6世は言っている1。

 ところで『教会の祈りの総則』がカトリック中央協議会より昨年6月に発行された。今までは「教会の祈り」の本の初めにとても小さな文字で総則が載っていたが、このたび別刷りとしてより大きな文字で読むことができるようになっている。「教会の祈り」を唱えるためにも他の祈りを唱えるためにも、まず『教会の祈りの総則』から学び、それぞれの祈りにつなげていくことを勧めたい。皆さんが祈りを深めるためにも参考になるものだと思う。

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1 日本カトリック典礼委員会編『教会の祈りの総則』カトリック中央協議会、P7、使徒憲章「ラウディス・カンティクム」参照、2023年。

 

カトリック山鼻教会通信<4月号>より  

 



「復活徹夜祭に向けて」

       主任司祭 佐藤謙一

 

 復活徹夜祭を含む「聖なる過越の3日間」は、主の受難と死と復活を一連のものとして祝う典礼である。これは主日に行っていることを、3日間に渡ってイエスの「聖体の制定」、「受難」、「死」、「復活」を時間経過に従って再現し記念するものである。それによって、イエスの死の意味は何だったのかということを毎年振り返ることができるのである。

 中世の教会は、主の受難と死が地上における宣教の終わりであり、復活は地上とは異なった天上におけるイエスの新しいいのちの始まりであると考えて二分して典礼を行っていた。しかし、1955年聖ピオ12世教皇が、今まで午後にミサが禁じられていたのを刷新し、まず復活徹夜祭という夜のミサを復活させた。第2バチカン公会議後の1970年に古代教会の伝統を復興し、イエスの受難と死が復活とは切り離すことができない連続した出来事として、聖なる過越しの3日間が制定されたのである。

 復活徹夜祭は、闇から光へ、主の死から主の日への移行を記念する年間の典礼の頂点である。復活徹夜祭は夜(聖土曜日の日没後から主日の明け方の前まで)に行われることになっている。これは、神がイスラエルの民をエジプトから脱出させるために徹夜されたという出エジプト記12章42節の記述に基づき、神の働きによって、イエスが死から復活の命へ過越された神秘を祝うための祭儀である。この復活徹夜祭を通してキリスト信者は主の復活を祝いながら、同時に新しい過越が自分たちの上に実現する「終わりの日」(=主の再臨の日)を、目覚めて待つように促される。

 『病人は一度よくなってもいつかはまた病気になって、最後には必ず死にます。しかし、イエス様に対する信仰によって与えられる霊的な生命は永遠に生きるのです。』これは聖アウグスティヌスの言葉である。イエスとともに生きることの頂点としての復活を復活徹夜祭で味わうことができるのである。

 

カトリック山鼻教会通信<3月号>より  

 



「四旬節が始まる」

       主任司祭 佐藤謙一

 

 「四旬節」は復活の主日によって開始日が変動する。今年は2月14日の灰の水曜日から始まり3月28日の主の晩餐の夕べのミサ直前までの44日間である。復活の主日は「春分の日」の後の最初の「満月」の次の「日曜日」と決まっている。したがって、もっとも早い灰の水曜日は2月5日になることもあり、もっとも遅い場合は3月11日になる。2月に四旬節に入らない年も3年に一回くらいはある。

 四旬節の意義は、第一に復活祭に向けた準備である。第二に洗礼志願者の準備である。第三に信者がすでに受けた洗礼の恵みを新たにする期間である。洗礼志願者がいなくても他の共同体の志願者のために祈りをささげ、また、信者の洗礼の恵みを思い起こし回心に招く期間でもある。

 この期間にはいろいろなしるしがある。まず灰の水曜日では灰の祝福と灰をかける式がある。

司祭は灰を振りかけながら「回心して福音を信じなさい」と回心を勧める。目と耳と口に示されるしるしとしては、控えめに花壇を花で飾ることや、オルガンや他の楽器が歌を支えるためだけに用いられることや、アレルヤと唱えないことや、沈黙を重んじることなどである。このようなしるしによって四旬節が回心の季節であることをわたしたちに思い起こさせるのである。

 四旬節の信心業としては「十字架の道行き」という祈りがある。イエスが十字架につけられた主の受難が金曜日であることから、時に四旬節中の金曜日に共同で祈ることが多い。イエス・キリストの受難を心に呼び起こし、信者の沈黙に役立てるものである。これから始まる四旬節では特に祈りと沈黙を大切にして行こう。

 

カトリック山鼻教会通信<2月号>より  

 



「神学生の1月の思い出」

       主任司祭 佐藤謙一

 

 わたしが神学生だったとき、毎年12月の終わりには冬休みとなり札幌教区に戻って来ていた。

冬休みはとても大切は時である。帰って来てから降誕祭をどこかの教会のミサにあずかり、教会の皆さんと交流を持つのも大切だが、本当に大切なのは次の日である。毎年12月26日に神学生養成担当の司祭団と面接し、その評価をもって司教と面接し、次の年度に進学するか、休学するか、やめるかを決断するからである。

 進学する、あるいは卒業して司祭叙階するのであれば問題はない。また、ある意味やめるのも問題はない。すぐに切り替えて次の道を考えればいいからだ。問題は休学する場合である。休学とは神学校での学びを休んで、教区で学びと養成を行うことを意味する。司教としては神学校に行ってもらって順調に成長してもらうのが、一番心が休まることであろう。しかし教区の中にいてもがき苦しみながら学び養成してもらうことになるのは、本人が一番苦しいであろうし、周りで見ている司祭団や司教も何とかしてあげたいと思うことばかりで、とても苦しいものなのである。

 私は冬休みを迎えて札幌に帰ったときにこの面接が嫌なものであったことを覚えている。

この短い冬休み期間の前半は、本来はクリスマスの喜びに満たされているはずであるが面接のことがあり気持ちが沈むことになっていた。しかし、わたしの場合は毎年進学することができたので年末から1月にかけては晴れやかな気持ちで新年を迎えることができていた。司祭叙階され、わたしは今も召命の道を歩むことができていることに感謝している。

 これまでに司祭に叙階された者も途中で去っていった者もそれぞれの心の葛藤の中で年末年始を過ごしていたのである。今はそういう季節である。わたしたちには計り知れないことかもしれないが、皆さんは祈りと犠牲によって神学生を支えて行くことができるのである。

 

カトリック山鼻教会通信<1月号>より  

 



「久野神父逝く」

       主任司祭 加藤鐵男

 

 二月六日に久野神父は帰天されました。享年九十二歳でした。私が司祭叙階されて同時に事務局長を命ぜられて、事務所の机に座っているのをご覧になって、年齢は重ねているけれども何事も分からない司祭に成りたての私に、「あなたがここに座っていると安心するんだよね」と声を掛けてくださいました。気恥ずかしいのと、また、全ての人にそのような優しさを示してくださる神父様なのだと感心したことを覚えています。

 私は実際には、聞いたこともなければ、見たこともないのですが、エレクトーンの演奏を毎日のように練習し、教会の大きな行事の時には、その腕前を披露していたと言いますし、スキーは一級の指導員の資格を取得して、後進の指導に当たっていたと聞いています。

 また、ここ数年はコロナ感染の状態で中止になっていましたが。北斗市のトラピスト修道院での司祭黙想会には、九十歳近くになっても、八時間掛けて休み休みしながら、車を運転して出席しておられました。

 光星高校で教鞭をとり、幼稚園の園長も長く勤められて、カトリックの精神を子どもたちに伝える事にも熱心でした。また、倶知安教会では、全ての園児、保護者が入れるようにと私財をなげうって、聖堂を拡張するなど、「キリストの福音」を生き切ることに生涯にわたって努めておられました。

 そのような久野神父が病に侵され、高年齢で症状の悪化が進まずに司牧に励んでおられましたが、転移による進行がみられ入院されて、あっという間に天に召されて行きました。

 「私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです」(エフェソ2章10節)。

 ヨセフ久野勉神父は、この聖句のように、「キリストの福音を」生涯にわたって、追求し、それを実践してこられました。 

 いまは、天国にあってゆっくりお休みくださいと祈り続けると共に、私たちのために神への取次を願い、僅かでも神父様の生き様を模範として歩むことが出来ますようにと願ってまいりましょう。

山鼻教会機関誌「おとずれ」❜22日3月号より  

 

 



「支援を必要としているひとびと」

            主任司祭 加藤鐵男

 

 新年を迎えて早くもひと月を過ぎようとしています。お正月には、綺麗に並べられたたくさんの御馳走の食卓を囲んで美味しいものでお腹が満たされたことだと思います。「七草がゆ」は、連日美味しい食べ物で満たされ続けた「胃」を休めるという意味もあると伺ったことがあります。こんな穏やかな新年を迎えた私たちは、幸せに満たされています。しかし、世界に目を向けて見ると大変な状況が長期にわたって続いていることを私たちは、知らされます。

 紛争の続く自国を捨てて安全な国を目指して難民として、たどり着こうとしても、国境や海峡で足止めされてしまいます。武力で他国へ入ることを拒否されて戻され、海峡をゴムボートで渡ろうとして、空気が抜けて三十数人もの犠牲者がでたことは、まだ記憶に新しいところです。

 タリバンによって、国を掌握されたアフガニスタンでは、厳しい冬を迎え、暖を取ることも出来ず、食べる物もない状況が続いています。ミルクもなくこのままでは、百万人のこどもたちが、栄養失調で死亡するだろうと報道されています。さすがに経済制裁をしている国々も、人道的支援を打ち出して援助に乗り出そうとしています。しかし、それを配分するシステムが構築されていなくて、末端まで行き渡ることは困難な状況だと言われています。日本も隣国の大使が政権側と接触し何とか、平和の道を探ろうと試みていますが、まだまだ時間が必要なようです。

 私たちにとって直ちに援助に結びつくことは、出来そうにもない事態ですが、一刻もはやくそれが実現しますようにと日々祈り続けることが大事です。

 

「私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです」(エフェソの信徒への手紙2章10節)。

 この聖書の言葉のように、神によって造られた私たちは、善い行いをする為にこの世に送られてきました。一人ひとりがそのことを自覚し常に思い起こしながら、実践していくことが求められています。この世に生を受けた人々が、その命を全うできますようにと祈り続け、自分たちばかりではなく、すべての人が救われるよう願いましょう。 

山鼻教会機関誌「おとずれ」❜22日2月号より  

 

 



「ある教会の献金箱」

司祭 加藤鐵男

 

 私が主任を務める教会でベトナム人のためのミサを行うようになって一年が過ぎました。彼らもすっかりこの教会に馴染んで、毎日曜日には、必ず少人数であっても祈りの会が開かれています。また、主日のミサに数人は、参列しています。

この教会には、献金箱は設置されていません。ところが、最近五、六件も続いて一階や二階のミサ参列者名簿を書くための鉛筆などの入れてある小箱に、五百円玉や千円札が入っていることが確認されています。信徒がそれを見つけては私のところに届けてくれています。献金として受け入れていますが、不思議です。

 ベトナム人たちが、休みの平日などに聖堂訪問をしたついでに、献金箱が見当たらないので、目についた箱の中に入れていくのではないかと思っています。でも、私に疑念が湧きました。誰もが目に止まる、蓋もないような箱にお金を入れて行って盗まれはしないかと考えないのだろうかということです。だが、そんなことは考えもせず、自分の入れたお金は献金として教会に入ることを疑わないのだろうと思います。

 イエスの衣の裾にでも触れれば自分の病気が癒されると信じた「長血患いの女」や「僕の病気が癒される」ことを願ってイエスの許にきた百人隊長のような、「あなたの信仰があなたを救った」とイエスに言わせた信仰がベトナム人たち一人ひとりには、備わっているのかもしれないと思うのです。疑うことをせず、自分たちの信じていることと真っすぐに向き合い、それを実践しようとしている彼らの中に育まれた信仰はなんとすばらしいのでしょう。かくて、この教会はそこいら中に献金箱だらけです。

 ペトロは言います。

「何よりもまず、互いに心から愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」(一ペトロ四章八節)

 キリスト教が日本に伝えられて間もない頃、日本人向けに訳された教理問答には、この「愛する」という言葉を、「御大切に」と訳されています。自分の愛するかけがえのない人々は、それぞれに大切な人たちなのです。それは、男女、年齢、国籍に関係なく、それぞれが、大切な人たちなのです。主よ、この信仰を多くの人に、まだ、あなたを知らない人たちにも育ませてください。

 

山鼻教会機関誌「おとずれ」❜22日1月号より