2020年  4月~2020年11月のメッセージ


        

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王であるキリスト 2020年11月22日

マタイによる福音書第25章31~46

       司式 張  雲喆 神父

 

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「人の子は、栄光に輝いて天使たち

を皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集

られると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊

を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福さ

れた人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲

ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢に

いたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、

いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておら

れるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお

宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、

わたしにしてくれたことなのである。』 

 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ

り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたし

が飢えていたときに食べさせず、のどが渇いていたときに飲ませず、旅をしていた

ときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれ

なかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが

飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられた

りするのを見て、お世話しなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっき

り言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなか

ったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは

永遠の命にあずかるのである。」

 



        

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年間第33主日 2020年11月15日

マタイによる福音書第25章14~30

       司式 近藤  光彦 神父

 

〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国はまた次のよ

うにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を

預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、

もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。

 〈早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラ

 ンンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラント

 ンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人

 の金を隠しておいた。〉

 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。

まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンをお預けになりましたが、ご覧ください。ほかに五

タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前

は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜ん

でくれ。』」

 〈「次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラント

 ンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』

 主は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であっ

 たら、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一

 タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から

 刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、

 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきまし

 た。ご覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い

 僕だ、わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知

 っていたのか。

 それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰っ

 て来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男か

 ら取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更

 に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げら

 れる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしり

 するだろう。』」 〉

 



        

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年間第32主日 2020年11月 8日

マタイによる福音書第25章1~13

       司式 近藤  光彦 神父

 

〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国は次のように

たとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。

そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っ

いたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と

一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠

気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声が

した。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおと

めたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし

火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに

行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の

席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御

主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わた

しはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

  



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死者の日 2020年11月2日

ヨハネによる福音書第6章37~40節 

司式 加藤 鐵男 神父 

〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意思を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

 

 

 

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年間第31主日 2020年11月 1日

マタイによる福音書第5章1~12

       司式 加藤 鐡男 神父

 

〔そのとき、〕イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たち

が近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。

 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。

 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。

 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

 平和を実現するものは、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴

 びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天

 には大きな報いがある。

 

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年間第30主日 2020年10月25日

マタイによる福音書第22章34~40

       司式 張 雲喆 神父

 

〔そのとき、〕ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」"

 



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年間第29主日 2020年10月18日

マタイによる福音書第22章15~21

       司式 近藤 光彦 神父

 

   そのとき、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

 


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年間第28主日 2020年10月11日

マタイによる福音書第22章1~14節・22章1~10節

 

       司式 近藤 光彦 神父

 

そのとき、〔イエスは祭司長や民の長老たちに〕たとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。」

《王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」》

 



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年間第27主日 2020年10月4日

マタイによる福音書第21章33~43節

 

       司式 加藤 鐵男 神父

 

 そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。

 さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。

『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』

 だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」

 

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年間第26主日 2020年9月27日

マタイによる福音書第21章28~32節

 

       司式 張 雲喆 神父

 

 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」 

  



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年間第25主日 2020年9月20日

マタイによる福音書第20章1~16節

 

    司式 近藤 光彦

 

 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。

 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

  



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年間第24主日 2020年9月13日

マタイによる福音書第18章21~35節

 

    司式 近藤 光彦 神父

 

 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

  



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年間第23主日 2020年9月6日

マタイによる福音書第18章15~20節

司式 加藤 鐡男 神父

 

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。

 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

 

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年間第22主日 2020年8月30日

マタイによる福音書第16章21~27節

                                                                           司式 近藤 光彦 神父  

 

 〔そのとき、〕イエスは、御自身が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、

律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになって

いる、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連

れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあっては

なりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。

あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自

分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、

それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界

を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻す

のに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に

来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」 



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年間第21主日 2020年8月23日

マタイによる福音書第16章13~20節

                                                                            司式   張 雲喆 神父  

 

 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、

人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤ』だと言う人もいます。ほかに、

『エレミヤだ』とか『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われ

た。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロ

が、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答

えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現し

たのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく、あなた

はペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対

抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐこ

とは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、

と弟子たちに命じられた。

 



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年間第20主日 2020年8月16日

マタイによる福音書第15章21~28節

                                                                             司式 近藤 光彦 神父  

 

 〔そのとき、〕イエスは、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この

地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんで

ください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは

何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女

を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお

答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食

卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。

「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

 



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王であるキリスト 2020年11月22日

マタイによる福音書第25章31~46

       司式 張  雲喆 神父

 

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「人の子は、栄光に輝いて天使たち

を皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集

られると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊

を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福さ

れた人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲

ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢に

いたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、

いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておら

れるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお

宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、

わたしにしてくれたことなのである。』 

 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ

り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたし

が飢えていたときに食べさせず、のどが渇いていたときに飲ませず、旅をしていた

ときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれ

なかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが

飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられた

りするのを見て、お世話しなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっき

り言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなか

ったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは

永遠の命にあずかるのである。」

 



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年間第19主日 2020年8月9日

マタイによる福音書第14章22~33節

    司式 近藤 光彦 神父  

 

 〔人々がパンを食べて満腹した後、〕イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、

こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、

祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおら

れた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のため波に

悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに

行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と

言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられ

た。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせて

ください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の

上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みか

けたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕

まえ、「信仰の薄いものよ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に

乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子

です」と言ってイエスを拝んだ。

 



年間第18主日 2020年8月2日

マタイによる福音書第14章13~21節

    司式 加藤 鐡男 神父 

 

 イエスは〔洗礼者ヨハネが死んだこと〕を聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人を癒された。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。

 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパン屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

 

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年間第17主日 2020年7月26日

マタイによる福音書第13章44~52節

    司式 張 雲喆 神父  

 

 

〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「天の国は次のようにたとえられる。畑

に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。

 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」 



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年間第16主日 2020年7月19日

マタイによる福音書第13章24~43節

 

                      司式 近藤 光彦 神父 

 

 〔そのとき、〕イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと。主人は言った。

『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れのとき、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」

 



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年間第15主日 2020年7月12日

マタイによる福音書第13章1~23節

 

 司式 近藤 光彦 神父 

 

 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」

《弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話になるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの預言は、彼らによって実現した。

 『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、

 見るには見るが、決して認めない。

 この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。

 こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、

 心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』

 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。 

 だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、ある者は三十倍の実を結ぶのである。」》 

 



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年間第14主日 2020年7月5日

マタイによる福音書第11章25~30節

 

  司式 加藤 鐡男 神父 

 

 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を背負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。  休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 



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年間第13主日 2020年6月28日

マタイによる福音書第10章37~42節

  司式 張 雲喆 神父 

 

 〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「わたしよりも父や母を愛する者はわたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。 

 あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わ

たしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」 

 

 



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年間第12主日 2020年6月21日

マタイによる福音書第10章26~33節

司式 近藤 光彦 神父 

 

 そのとき、イエスは使徒たちに言われた。「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

 だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

 

 



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キリストの聖体 2020年6月14日

ヨハネによる福音書第6章51~58節

司式 近藤 光彦 神父 

 

 

 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕「わたしは、天から降って来

生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 

 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」 

 



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三位一体の主日 2020年6月7日

ヨハネによる福音書第3章16~18節                                                                                                  

                               司式 加藤 鐵男 神父 

 

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

 

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聖霊降臨の主日 2020年5月31日

ヨハネによる福音書第20章19~23節

                                                                                司式 近藤 光彦 神父 

 

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たち

いる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがた

平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟

たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるよ

に。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう

ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、

なたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ

赦されないまま残る。」

 



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主の昇天 2020年5月24日

マタイによる福音書28章16~20節

    司式 張 神父

 

 〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 



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復活節第6主日 2020年5月17日

ヨハネによる福音書第14章15~21節

 

司式 近藤  光彦 神父

 

  〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」 

 

 



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復活節第5主日 2020年5月10日

ヨハネによる福音書第14章1~12節

 

                           司式 近藤 光彦 神父

 

  〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じるものは、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」

 



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復活節第4主日 2020年5月3日

ヨハネによる福音書第10章1~10節

 

 〔そのとき、イエスは言われた。〕「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入るものが羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。 

 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」 

 



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復活節第3主日 2020年4月26日

ルカによる福音書第24章13~35節

司式 加藤 鐵男 神父

  

 この日、〔すなわち週の初めの日、〕二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパと言う人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。

 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

 



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復活節第2主日 2020年4月19日

ヨハネによる福音書第20章19~31節

集会祭儀

 

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹をお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったようにわたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じるものになりなさい。」トマスは答えて「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 

 このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。