主日のメッセージ(2018年8月5日~2018年12月30分日)


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聖家族 2018年12月30日

ルカによる福音書2章41~52節                                                            

司式 加藤 鐵男 神父   

 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」するとイエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのはたり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分らなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮しになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

 

 

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主の降誕日中のミサ 2018年12月25日

ヨハネによる福音書1章1~18節                                                        

司式  加藤 鐵男 神父  

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神

にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは

つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝

いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名は

ヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべ

ての人が彼によって信じるようになめである。彼は光ではなく、光について証し

をするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべて人を照らすのである。

言は世にあった。は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民

のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、そ

の名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、

肉の欲によってでなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それ

父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方に

ついて証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後かられる方は、わたし

より優れている。わたしよりも先におられたからである』とたしが言ったのは、こ

の方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれ豊かさの中から、恵み

の上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられが、恵みと真理はイエ

ス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神見た者はいない。父の

ふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのでる。

 

 

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主の降誕夜半のミサ 2018年12月24日

ルカによる福音書 2章1~14節      

主の降誕夜半ミサ

司式 加藤 鐵男 神父      

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。

これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である

人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、

その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムとうダビデ

の町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためで

ある。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子

を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がかったか

らである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。

すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

天使はった。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今

日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシ

アである。あなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つける

であろう。これがあたたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大

軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平

和、御心に適にあれ。」

 

 

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待降節第4主日 2018年12月23日

ルカによる福音書 1章39~45節

司式 近藤 光彦 神父   

 

 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、

ザカリアの家に入ってエリサべトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサべトが聞いたと

き、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。

「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたし

の主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あな

たの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっ

しゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

 

 



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待降節第3主日 2018年12月16日

ルカによる福音書 3章10~18節

 司式 朴 宰 奭   神父    

加藤 鐵男 神父    

 

 そこで、群衆は「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋た。ヨハネは、

「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている

者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたし

たちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立て

るな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。

ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな

分の給料で満足せよ」と言った。民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、

もしかしたら彼がメシアではなかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆

に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れ

た方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ち値打もない。その方、

聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を々

まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻から消えることのない火で焼き払われ。」

ヨハネはほかにもさまざまな勧めをして、衆に福音を告げ知らせた。

 

 



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待降節第2主日 2018年12月9日

ルカによる福音書 3章1~6節

司式 近藤 光彦 神父   

                            

 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデ

がガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアが

アビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野

でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行っ

て、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤ

の書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、そ

の道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった

道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」 

 

 



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待降節第1主日 2018年12月2日

ルカによる福音書 21章25~28節、34~36節

司式 加藤 鐵男 神父    

 

 それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国

の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々、この世界に何が起こるのかとおびえ、

恐ろしさのあまり気を失うであろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、

人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなこ

とが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いか

らだ。

 放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、

その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆ

る所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがは、起ころうとし

ているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつ

も目を覚まして祈りなさい。 

 

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王であるキリスト 2018年11月25日

ヨハネによる福音書18章33~37節

ケン・スレイマン神父  

 

 そこで、ピラトはもう一度官邸に入りイエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王

なのか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うの

ですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」ピ

ラトは言い返した。「わたしはユヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前を

わたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」イエスはお答えになった。「わ

たしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、

わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、

わたしの国はこの世には属していない。」そこでピラトが、「それでは、やはり王な

のか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言ってい

ることです。わたしは心理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来

た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」 

 

 



年間第33主日 2018年11月18日

マルコによる福音書第13章24~32節

司式 朴  宰 奭 神父  

加藤 鐵男 神父    

 

 「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。

 いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づ

いたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見

たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのこ

とがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉

は決して滅びない。 

 その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じで

ある。」、

 

 



年間第32主日 2018年11月11日

マルコによる福音書第12章38~44節

司式 近藤 光彦 神父  

 

 イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣

をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に

座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。この

ような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」

 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。

大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプト

ン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて

われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から

自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

 

 



年間第31主日 2018年11月4日

マルコによる福音書第12章28~34節

司式 加藤 鐵男 神父  

 

 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになった

のを見て尋ねた「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えに

なった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である

主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、

あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のよう

に愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃっ

たのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、

また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえ

よりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。 

 

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死者の日 2018年11月2日

ヨハネによる福音書第6章37~40節

司式 加藤 鐵男 神父   

 

 「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る

人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意思を

行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしを

お遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、

終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永

遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」 

 

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年間第30主日 2018年10月28日

マルコによる福音書第10章46~52節

司式 近藤光彦 神父 

 

 イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティ

マイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。ナザレのイ

エスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言

い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの

子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止って、「あの男を

呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちな

さい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イ

エスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようにな

りたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰

があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

 

 



年間第29主日 2018年10月21日

マルコによる福音書第10章35~45節

司式 加藤 鐵男 神父

 

 〔そのとき、〕ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、願いすることをかなえていただきたいのですが。」イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあな

たの右に、もう一人を左に座らせてください。」イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたし

が受ける洗礼を受けることが出来るか。」彼らが、「できます」と言うと、イエスは

言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受

けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることで

はない。それは、定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。そこでイエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が

民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そう

ではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上に

なりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕え

るために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

 

 

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   年間第28主日 2018年10月14日

   マルコによる福音書第10章17~30節

 

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    司式 近藤 光彦 神父  

 

 〔そのとき、〕イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずい

て尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イ

エスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い

者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母

を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうこ

とはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで

言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、

貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたし

に従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさ

んの財産を持っていたからである。

 イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、何と

難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられ

た。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよ

りも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それ

では、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われ

た。人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」ペテ

ロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りま

た」と言いだした。イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福

音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、

迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を

受ける。」

 

 

 


 

   年間第27主日 2018年10月7日

   マルコによる福音書第10章2~16節

 

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     司式 加藤 鐵男 神父  

 

 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法

に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。イエスは、

「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。彼らは、「モーセは、離縁

状を書いて離縁することを許しました」と言った。イエスは言われた。「あなたたち

の心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初め

ら、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ば

れ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神

が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」家に戻ってから、弟子

たちがまたこのことについて尋ねた。イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻

にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする

者も、姦通の罪を犯すことになる。」 

 イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人

々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちを

わたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのも

のである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決

してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福さ

れた。 

 

 

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   年間第26主日 2018年9月30日

   マルコによる福音書第9章38~43、45、47~48節

 

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     司式 朴 宰奭 神父

   박재석(안셀모) 신부님  

 

 〔そのとき、〕ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出し

ている者を見ましたが、私たちに従わないので、やめさせようとしました。」イエス

は言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後

で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なの

である。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の

水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。 

 わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸

けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。もし片方の手があなたをつま

ずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中

に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。もし片方の足があなたをつ

まずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれ

るよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずか

せるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、

一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消える

こともない。」

 

 


 

   年間第25主日 2018年9月23日

   マルコによる福音書第9章30~37節

 

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                                司式  朴 宰奭 神父

                                                                                   박재석(안셀모) 신부님 

 

   〔そのとき、イエスと弟子たちは〕ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人

に気づかれるのを好まなかった。それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡

され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。弟子

たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。 

 一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何

を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん

偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。

「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になり

なさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言わ

れた。「わたしの名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、わたしを受

け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わし

になった方を受け入れるのである。」

 

 

 


 

   年間第24主日 2018年9月16日

   マルコによる福音書第8章27~35節

 

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                               司式 加藤 鐵男 神父 

 

 

 〔そのとき、〕イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出

かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言ってい

るか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほか

に、『エリヤだ』という人も、『預言者の一人だ』という人もいます。」そこでイエ

スがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペト

ロが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも

話さないようにと弟子たちを戒められた。 

 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者た

ちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え

始められた。しかも、そのことをはっきりとお話になった。すると、ペトロはイエス

をわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペ

トロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間の

ことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わた

しの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命

を失うものは、それを救うのである。」 

 

 

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   年間第23主日 2018年9月9日

   マルコによる福音書第7章31~37節

 

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    司式 近藤 光彦 神父  

 

 〔そのとき、〕イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通

り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて

来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを

群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れ

られた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言

われた、これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつ

れが解け、はっきり話すことができるようになった。イエスは人々に、だれにもこの

ことを話してはいけない、と口止めされた。しかし、イエスが口止めされればされる

ほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この

方のなさったことはすべて、すばらしい、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口

の利けない人を話せるようにしてくださる。」

 

 

 


 

   年間第22主日 2018年9月2日

   マルコによる福音書第7章1~8、14~15、21~23節

 

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      札幌地区使徒職大会

 

 

 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、

イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わな

い手で食事をする者がいるのを見た。―――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は、

皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事せず、ま

た、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、盃、

鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさん

ある。―――そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなた

の弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」

イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に予言した

ものだ。彼はこう書いている。

 『この民は口先ではわたしを敬うが、

 その心はわたしから遠く離れている。

 人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』

 あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」 

 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞

いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、

人の中から出て来るものが、人を汚すのである。中から、つまり人間の心から、悪い

思いが出て来るのである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好

色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚す

のである。

 

 

 


 

   年間第21主日 2018年8月26日

   ヨハネによる福音書第6章60~69節

 

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     司式 朴 宰奭 神父 

                      박재석(안셀모) 신부님 

 

 〔そのとき、〕弟子たちの多くの者は〔イエスの話〕を聞いて言った。「実にひど

い話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのこと

についてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずく

のか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。命を与えるのは

〝霊〟である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であ

り、命である。しかし、あなたがたの内には信じない者たちもいる。」イエスは最初

から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知

っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがた

に、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言っ

たのだ。」 

 このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そ

こで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・

ペテロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永

遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、

また知っています。」

 

 

 


 

   年間第20主日 2018年8月19日

   ヨハネによる福音書第6章51~58節

 

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     司式 朴 宰奭 神父 

                      박재석(안셀모) 신부님 

 

 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕「わたしは、天から降って来た

生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与え

るパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 

 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることが

できるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言って

おく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わた

しの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日

に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからで

ある。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたし

もまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、また

わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これ

は天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違

う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

 

 

 


 

祭日

聖母の被昇天(2018年8月15日)

   ルカによる福音書第1章39~56節

 

 

 

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   司式 加藤 鐵男 神父

 

 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、

ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたと

き、その体内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。

「あなたは女の中で祝福された方です。体内のお子さまも祝福されています。わたし

の主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あな

たの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、体内の子は喜んでおどりました。主がおっ

しゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

  そこで、マリアは言った。

 「わたしの魂は主をあがめ、

 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

 身分の低い、この主のはしためにも

   目を留めてくださったからです。

 今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、

 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。

 その御名は尊く、

 その憐れみは代々に限りなく、

 主を畏れる者に及びます。

 主はその腕で力を振るい、

 思い上がる者を打ち散らし、

 権力ある者をその座から引き降ろし、

 身分の低い者を高く上げ、

 飢えた人を良い物で満たし、

 富める者を空腹のまま追い返されます。

 その僕イスラエルを受け入れて、

 憐れみをお忘れになりません、

 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、

 アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

   マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。 

 

 

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   年間第19主日 2018年8月12日

   ヨハネによる福音書第6章41~51節

 

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    司式 近藤 光彦 神父 

 

 〔そのとき、〕ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」

と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こういった。「これはヨセフの息子

のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天か

ら降って来た』などと言うのか。」イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはや

めなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわた

しのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者

の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだも

のは皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけ

が父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたし

は命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。

しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたし

は、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に

生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

 

 

 

 

   年間第19主日 2018年8月12日

   ヨハネによる福音書第6章41~51節

 

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    司式 近藤 光彦 神父 

 

 〔そのとき、〕ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」

と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こういった。「これはヨセフの息子

のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天か

ら降って来た』などと言うのか。」イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはや

めなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわた

しのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者

の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだも

のは皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけ

が父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたし

は命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。

しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたし

は、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に

生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

 

 

 


 

   年間第18主日 2018年8月5日

   ヨハネによる福音書第6章24~35節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父  

 

 〔五千人がパンを食べた翌日、その場所に集まった〕群衆は、イエスも弟子たちも

そこにいないと知ると、自分たちも小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウム

に来た。そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいで

になったのですか」と言った。イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あ

なたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹

したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に

至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物であ

る。父である神が、人の子を認証されたからである。」そこで彼らが、「神の業を行

うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神

がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」そこで、彼らは言った。

「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを

行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、

荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いて

あるとおりです。」すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天

からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からまことのパンをお

与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」 

 そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イ

スは言われた。「私が命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えること

なく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

 

 

 

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